月の影~3.憧憬~

この「月の影」は連載でお送りしています。

今回は第3話「憧憬」です。
やはり長くなってきたようで全5話になりそうです。
タイトルが全部決まったので参考に載せておきますね。

「月の影」シリーズ  1.迷宮       
             2.追憶
              3.憧憬(このお話です)
              4.覚醒
              5.幻影

それでは、「月の影~3.憧憬~」をどうぞ。




3.憧憬



愛の媚薬。




そんな非現実的なものがあるなら、試してみたいものだ。




"ご主人様! トリスタン! 


 恐るべき魔力!



 ああ、愛の女神! 恋の力!"




リヒャルト・ワーグナー《トリスタンとイゾルデ》より「前奏曲」と「愛の死」







『だから、もっと音楽に没頭しなさいと言っていマス。』




なんでこんな時にシュトレーゼマンの言葉を思い出すのか。





音楽祭、オケの指導が始まっていた。



ホールは空調設備が整っているとはいえ、舞台上の密度に少し嫌気がする。




「冒頭の和音、機能性よりも響きを大切にして。」





何かに没頭しようとすればするほど、ほんの些細な問題に気を取られてしまう。





集中と没頭が違うことくらい分かる。



でも、それが頭で理解できているだけでは意味が無い。




他に何も目に入らず、考えられず、ただただ一途に。





トリスタンとイゾルデの没頭は、狂乱するほどの愛ゆえに。 






「オーケー。じゃ、午後はニナが来るからちゃんと準備しておくように。」




ブラームス、手堅い選曲だ。




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密室に二人きりだと、息も詰まる。



ぴん、と張りつめた空気に酸欠状態ののだめは、最終日のピアノ協奏曲のために練習するニナの譜面を必死に目で追ってめくる。





ニナから放出されるエネルギーがのだめにもびりびりと伝わってきて、さらに緊張感が高まる。




ブラームスのピアノ協奏曲はフル演奏しても50分近くかかる。






その一秒一秒に鋭いニナの感性が刻まれて、聴き手の心を揺さぶる。








「そろそろ休憩にしましょう。」


「は、はい!!コーヒー入れてきマス。」




カップを持つ手がまだ震えている。


心を震わすほどの演奏を聴くと、いつも感じる。






音楽の底知れぬ、偉大な力。







「あなた、コンセルヴァトワールの学生なんですって?」



コーヒーをすすりながらニナが問う。



「ハイ・・・一応。」


「志願して私のアシスタントについたくらいだから、勉強しに来たのよね?」


「も、もちろんです。」


「何か一曲弾いてみる?」


「え?!」



思いもよらないニナの誘いに、戸惑いを隠せない。





でも、聴いて欲しい。



今の自分の音を、想いを。






「あの、それじゃ。一曲だけ。」






バルトーク《組曲》op.14






鍵盤を弾く指の一本一本に、想いが募る。






これまでの自分を構築してきたもの、これからの自分を形作るもの・・・







のだめにとってピアノという存在は、その材料であり、完成形でもある。







そう、ピアノは自分の魂の一部であり、そして自分はピアノの一部でもあるのだ。






運命共同体。








どちらか無しでは、生きてはいけない。







「・・・・・・・あなた、そのバルトーク・・・」




ニナの声は演奏中ののだめに聴こえているのか。






体が、軽い。






宙に浮いて、自由に空気の中を泳いでいるような、そんな錯覚にとらわれる。








こんな演奏が、自分にできるなんて。







ピアノの音が鳴り止むと、のだめは夢から醒めたように自分の置かれた状況を思い出す。





「あ、えと、終わりましたけど。」


「・・・・・・・・・・・・・・・・。」




無言のままニナはのだめの目を見つめている。





まるで、その瞳の奥にあるのだめの心を読み取ろうと試みているように。







「・・・・・・素晴らしかったわ。観客が私一人なのがもったいないくらい。」





ようやく口を開くと、ニナはのだめにそう言った。




「あの時の演奏・・・・・・」


「え?」





4年前の、音楽祭が終わる日。






「・・・・・・なんでもないわ。あなたのピアノ、しっかり明日を見つめている。」


「見つめる・・・・・・」


「明日を、未来へのドアを激しく叩くような、そんな音をしていたのよ。」







なぜだろう。





瞳に熱い雫が水溜りになって、うつむいたら全てこぼれ落ちた。




頬を伝う熱を帯びた想い。









きっと、一生冷めない温度。









「・・・・・ごめ、ごめんな・・さい・・・」







何故謝る必要があったのか。



今となっては分からない。





「自分の思うとおりに進みなさい。ピアノと心を一つにして。」





ニナの言葉が優しく、厳しく胸に刺さる。






満たされなかった、これまでの想い。




たった今溢れた、これからに対する想い。






全部残さず明日へ持っていこう。








他のお土産など、要らない。






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「何デスか?この正体不明な液体は。」


「・・・・・・マーメイドジュース。」


「マーメイド?」




オリバーの荷物の中にミキサーが入っていた時は正直、こいつすごい、と思った。



「まあ、とにかく飲め。」


「・・・・・怪しい。まさか、惚れ薬とか入ってませんよネ?」


「はぁ?」




愛の媚薬?




「・・・夏バテ予防だよ。」


「そう聞くと、なんだか効きそうな気がしてきました。」




今夜はR☆Sオケの公演がある。


新幹線のチケットはちゃんと取っておいた。



「飲み終わったら出発するぞ。」


「へ?どこへですか?」


「東京。」







リハーサルは無事終わった。




リハの前、控え室でニナと言葉を交わした時の記憶が、今も鮮明に脳裏に焼きついていて離れない。





「シンイチ、あの子・・・。」



間違いなく、のだめのことだろう。



「どうしてあなたが今回日本へ連れて来たかは分からないけど、あの子、化けるわ。近いうちに。」




ぶっ。




化ける?



最初から化け物と同じようなものだから、今更化けてみせても驚きはしない。





「・・・・・・近いうちどころか、毎日脱皮しまっくって後始末が大変ですよ、俺は。」


「ふふ、脱皮、ね。さなぎから孵ったからといって、蝶になるとはかぎらない。」


「はぁ。」


「蝶よりも高く、自由に・・・そして美しく飛べる。そんな何かになってみせるわ、きっと。」






どうやら、ニナと俺の意見はそう違いがない。






良かったな。




俺だけが買いかぶってるわけでもないらしい。





おまえの、音楽を。





おまえ自身を。








                             続く
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by poppo1120 | 2006-03-27 22:25 | SS連載
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